参、山系闇鍋


まだです。
でも、ナナメ読みですが、ヤマケイ1月号で「登山道を考える」という、特集が組まれています。この点について今後少し感想を述べさせて頂きたいと思います。

其壱
登山用語について
登山用語、とりわけロープ(ザイル)についての混乱というか判り難さがある。
ロープとザイルどちらも同じものを言うが、英語とドイツ語の表記の違い。日本語なら縄となるがこれが、結び方の名称
となると、学ぶ側からすると迷惑な話である。歴史的にはドイツ語が先で、英語表記は遅れて日本に入ってきたようではあるが
英語とドイツ語と日本語の混交が著しい。
先般、行われた合同訓練でも、警察、消防、山岳会で同じ結び方の呼び方が違いうのである。

ロープと云えば、一般的には「もやい結び」が有名であるが、登山をする人達は「ブーリン・ノット」と呼ぶが現在では、リング荷重により、結びが緩み抜ける可能性が指摘されクライミングでは使いないようになってきた。
「ムンターヒッチ」を「半マスト」と呼び、「クローブ・ヒッチ」に至っては、「インクノット」「マスト結び」「巻結び」或いは「徳利結び」などという有難い名前まである。
言葉の使命は、相手に意思を伝える事なのだから、こんな時こそお役所が標準表記を定めてその他の呼び方も認めれば良いと思う。標準表記の定めもないのだから混乱が生じるのである。教える側も教わる側も不幸である。


其弐
決して行政批判が目的ではないが・・・・・
湯ノ平林道が閉鎖されて一般的には新築されたばかりの湯ノ平非難小屋が一般的には利用できなくなって久しい。
しかし、
実際は、渓流釣りの方々が相当数、湯ノ平林道を経由して入渓しているらしい。(私個人としては未確認)
新発田市の対応としては、2重のフェンス・注意書きで入渓・入山出来ないようしているので、市には責任がありません。という意図が見え隠れする。
では、実際に事故が発生した場合を想像すると最悪である。
登山届も何も、何処にも提出されていないので事故が発生した場合、遭難者の入渓・入山ルート、行き先、装備、自宅等連絡先等一切不明のまま行方不明(帰宅せず)という事態が生じる。
そもそも、登山・沢登・渓流釣り等を規制、制限する法令があるのか?という疑問がある。
行政側が「遭難事故は面倒だから入るな。」という事だけだろう。

今日、NINOXに行った際、第二高速リフト(山頂)小屋に「ここからの登山禁止」と看板が立っている。
禁止法令根拠は?
というと、多分無いと思われる。
冬期間の入山規制の条例を定めている県もあるが、どうも「禁止」という文言は使われていないようである。せいぜい、「立ち入らないよう、努力しなければならない。」という表記に留まっている。

結局のところ、登山・沢登・渓流釣り。これらは、身に降りかかる全ての事象の責任は自己に帰結する。という大前提のうえに成り立っているものである。と私は思っている。
では、遭難し救助された場合、人的経済的に迷惑を掛けるではないか!という話しを良く聞く。
遭難者は人的経済的に責任を取る必要があるのは当然の帰結であり公的ヘリも民間並みに費用請求すべきである。
そのために、山岳保険・山岳共済等に加入している。
金銭問題だけに留まらず、生きて帰れば、本人が、残念ながら本人が帰ることが叶わなかった場合は遺族がその社会的責を負い、責め(経済的負担及び社会的制裁・非難)を甘んじて受けねばならない。

その点も全て理解した者には入山・入渓を許すべきである。
では、現実的に私の望む事。
@湯ノ平林道、NINOX何れも登山者、バックカントリースキーヤー等に条件付で解放して欲しい。
A上記の場所を通過する者には、登山計画書等の届出書等の提出を義務付ける。違反者には罰則が当然必要と思う。
B@を通行・使用する者は自己責任で行動することについて意思確認をする。

確かに、NINOXから上部入山許可すると、事故・遭難は増えると思います。
一般のスキーヤーが、装備を持ち、訓練されたバックカントリー・スキーヤー、登山者の踏跡を辿り遭難という事案は、容易に想像できます。だから、登山計画書等の提出を義務付け違反者には罰則が必要だと思います。
装備のない一般スキーヤーがNINOXから山頂を目指し、ガスられたら戻れないという事は想像に難くない。当然と思う。
当然という遭難は許されないと思う。
ただ、その様な可能性だけで、全てに蓋をかぶせ、「禁止しているから問題は起きない。」
というのは早計であり配慮が足りないと思う。

私は地元山岳会の会員であるので、禁止事項には従います。
しかし、届出制により入山者・入渓者の確認が出来る様にしてうえで、入山・入渓できるようになるよう働きかけはしていくつもりです。
(平成18年3月9日記・許可という文言を届出に訂正した平成18年3月13日)




其参・・・下越山岳会の歩み(高橋前会長のまとめを頂きました・・・)

下越山岳会の歩み(高橋正英前下越山岳会々長まとめ)会報飯豊2号で4代目会長佐久間惇一氏の記録を参考にしました。

下越山岳会は湯の平温泉、飯豊赤谷道から生まれたようなものだ。昭和8917日御免町小学校舎で発会式をあげた際の設立趣意書によれば「昭和4年(2年の誤り)新潟の人、平野忠太郎氏が霊泉湯、湯の平を開湯して山路を改修するまで、実に絶嶮として登山者に顧みられる処がなかったのでありました。併し平野氏の努力も僅か3シーズンで湯の平温泉を閉ざされると共に、又しても登山者の足が激減して訪れる者がはなはだ稀に山路は只徒らに荒廃に任せるばかりで、登山者たちには相当苦痛な険路として親しみ難いものでありました而してまた一方近来の登山傾向なるものが只単に飯豊山頂を究めるということを脱して、峡谷遡行からブッシュ突破の連峰縦走という複雑な方法へと転じました(以下省略)」

そして、「赤谷口登山路を開発し道標を設備し山小屋を建設して登山者の便宜を図り我が山々飯豊を紹介する」のを大きな目的として会が発足しているのである。その精神を創立70余年を過ぎた今も受け継ぎ赤谷口に執着し飯豊連峰に執着しています。

会の設立発起人は新井寛励、田中市松、酒井達雄、川瀬貢、井上平次郎、の5氏で年会費50銭、初代会長は新発田町長 志賀政雄、幹事 新井寛励、田中市松、渡辺正二(安田村)井上栄橘(赤谷村)関量平(加治村)川瀬貢、酒井達雄であった。会の第一の仕事は登山道の補修と山小屋の建設であった。会と営林署で担当し赤谷村の協力により、昭和9年7月、田中幹事が監督として現地に登山、洗濯沢の小屋を建設したが10年、11年に倒壊11年再建以降、倒壊と再建を繰り返し最後は赤谷の関口氏が僅かに5,6人が雨露をしのぐ小屋を再建したがいつの間にか消滅した。赤谷口開発の功労者として井上平次郎氏、田中市松氏、新井寛励氏等の名は長く記憶されるであろう。また、米倉の荒城山のスキー場を開き寄付金を集めスキー小屋も建設して毎年大会や講習会が行われた。戦前は当会がスキー行事の中心にもなっていた。

創立から戦前主に活躍した会員は、酒井達雄氏、新井寛励氏(新発田中学教)、森谷周野氏(新鉄局)、田中市松氏、岡田米平(第四銀)、佐久間惇一氏(日曹)、大倉長之丈氏(二王子岳〜赤津山への単独縦走途中遭難、会を挙げて翌年8月まで捜索を続行したが発見にいたらず)関量平氏、佐藤正氏(教員)、波多野伝八郎氏(教員)、近藤氏兄弟、渡辺幸輔氏、渡辺正二氏らが挙げられるが山への情熱なかばに戦禍に散った多くの先輩たちのあったことも忘れてはならない。

当時のJAC山日記によれば昭和11年頃県内の山岳団体は当会を含み16であった。特に酒井、新井、森谷、佐久間の各氏は藤島玄、笠原籐七らとも関連が深かった。戦中戦後は森谷周野氏の明大山岳部の後輩、中西扇次氏をはじめ、五十嵐篤雄氏、鈴木敏雄氏、高田敏夫氏、林孝司氏、島津甲子郎氏、杉原八百樹氏、土田純司氏、水野善一郎氏などが中心となり会をリードし今日に至る。

会長は初代、志賀政雄氏(新発田町長昭和8年9月〜昭和13年8月)2代 富樫甚平氏(昭和13年〜昭和21年11月)3代 岡田米平氏(昭和22年2月〜昭和30年)4代 佐久間惇一氏(昭和30年8月〜昭和39年12月)5代 五十嵐篤雄氏(昭和40年〜平成10年)6代 高橋正英(平成11年〜平成16年)7代 藤井三郎(現会長)

平成18年現在会員数60名

以上記録は平成18年4月19日集会において高橋正英前会長よりプリントが出席会員に配布されたものである。そのプリントを私が転記し、句読点、スペース等をインターネットで見やすい様に若干の加筆訂正を行い、記述者である高橋正英氏の許諾を得て本ページに記載させて頂きました。
なお、転記ミス等ご指摘がございましたらお手数でもご連絡を賜りたいと存じます。

平成18年4月28日HP掲載




其四
平成18年12月13日(水)
場所 北都 山友荘
時間 18:30〜

磐梯朝日国立公園飯豊地域登山道に関する座談会

環境省の直轄事業として磐梯朝日国立公園飯豊地域登山道の周辺の植生回復、登山道の管理保全について調査が始まった。現在まで、3県に跨るこの山域で山岳関係者が志を同じくして集うことが無かったとの事だが、今回の事業のおかげで県内外の山岳関係者と交流が緊密になった。
環境省、現地調査を受託した潟jュージェック、飯豊をとりまく3県(新潟、山形、福島)の山岳関係者が五頭山麓に一同に集い、巻機山の植生復元に長年携わっておられる松本氏の話をお聞きし、スライドを見て裸地化した部分の植生回復方法を研修し、飯豊でも同様に行えるか検討した。
後半は交流会で一献酌み交わしながら意見交換、県内外の山岳関係者と交流を深めた。

巻機山の植生復元に長年取り組まれた松本氏 スライドと説明で研修
新潟県山岳協会の本間さんの乾杯の音頭 エンジンがかかってきました。
HZUさんと豊栄山岳会の本田会長 AXLさんと私
HZUさんと峡彩山岳会の楡井会長 VCKさんと川端さん

登山道を取り巻く法律、手続き、費用、手法、植生等私がいかに無知か知った夜でした。





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